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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1995-11-09 第134回国会 衆議院 宗教法人に関する特別委員会 第7号

高等農林学校をつくった。ソウルに  京城帝国大学をつくり、一挙に教育水準を上げ  た。全く教育がなかったわけだから。鉄道を五  千キロ、道路一万キロ(をつくり)、港湾の整  備、開田水利をし、山には木を植えた。創氏改名について。   (日本の植民地支配は)誇り高き民族に対す  る配慮を欠いた。それが今、尾を引いている。  その一番のものが創氏改名だ。

山口那津男

1995-11-08 第134回国会 参議院 地方分権及び規制緩和に関する特別委員会 第2号

高等農林学校をつくり、ソウル帝国大学をつくり、一挙に教育水準をあげた。鉄道五千キロ、港湾整備開田水利をし、山には木を植えた」、このように賛美をされて、創氏改名についても、「全部の国民に創氏改名をやらせたとは思えない」と半強制的だった歴史的事実を否定いたしました。  

吉川春子

1987-03-26 第108回国会 参議院 文教委員会 第1号

山本正和君 私も、三重県の出身だということも含めまして、特にお願いしておきたいんですけれども、三重高等農林学校というのは大正十年に設置されまして、もう六十五年になるわけです。これは、三重県という県では高等専門学校というのはこれ一つしかなかったということも含めまして、大変県民の中に親しまれている学校であったわけでございまして、それが中心になって今日の三重大学ができている。

山本正和

1983-03-11 第98回国会 衆議院 本会議 第11号

君の御両親は、苦しい生計の中から、幼少より聡明利発であった君の希望を入れ、十勝農業学校へ入学することを許し、君はさらに宇都宮高等農林学校を経て九州大学農学部に進み、昭和二十二年、同大学卒業されました。  君は、学生時代を通し学業の成績がよいだけではなく、下級生のめんどうをよく見るなどでクラスメートの信頼が厚く、休暇で帰郷したときは家業の農業を手伝う君の姿が見られました。

安井吉典

1969-04-11 第61回国会 衆議院 文教委員会 第11号

毎年私はこれを言うのでありますが、やはり知識がなければ知識を集めて、民間にはそれぞれの国の事情に詳しい者がおりますから、少なくとも戦前にありました六つ高等農林学校——いまはそれぞれ大学農学部になっておりますが、そこに一回行かせて、そして夢多き青年が、海外農業技術を持って出ていくのは奨励すべきじゃないかと思います。奨励の御方針を立てていただきたいと思いますが、どうですか。

田原春次

1969-04-11 第61回国会 衆議院 文教委員会 第11号

田原委員 戦前には宇都宮高等農林学校、盛岡高等農林学校三重高等農林学校、岐阜高等農林学校、宮崎高等農林学校、鹿児島高等農林学校、六つ高等農林学校拓植科というのがありまして、海外に移住して、移住先でもって技術を持ってやっていける教育をしたものであります。現に南米各地には多数のこれらの学校卒業者が行っております。

田原春次

1964-02-20 第46回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号

戦前盛岡高等農林宇都宮高等農林三重高等農林岐阜高等農林宮崎高等農林鹿児島高等農林学校等には拓殖科というものが特設されておりまして、中興高級技術者としての素養を修め、そして東南アジアから中近東、それから中米、南米に移住さしております。現在四十四、五歳から五十五、六歳ぐらいまで、老年の者はアルゼンチンの石川さん等八十歳、盛岡高等農林の第一回卒業生であります。

田原春次

1963-05-15 第43回国会 衆議院 外務委員会 第15号

文部省は、戦前には、宇都宮高等農林学校、盛岡高等農林学校、岐阜高等農林学校それから三重高等農林学校、宮崎高等農林学校、鹿児島高等農林学校拓植科というものを置いておりまして、これらの高等農林学校出身者が中南米に行って、黙々としてその地区における日本人の指導者になって、産をなしております。それから、北大あたりから行った者もあります。

田原春次

1963-02-22 第43回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第6号

しかるに終戦後マッカーサーが来まして、海外移住はいかぬというので、まず文部省をおどかし、これら歴史ある高等農林学校における拓殖科を廃止してしまった。それですっかり文部省は腰を抜かして、いまだに教育面からする海外移住というものは怠っております。しかし、農林省は、たとえば水産講習所を経営しているごとく、もしその気になれば、各大学農学部農業拓殖科をつくるようなことはできやすまいか。

田原春次

1963-02-01 第43回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号

ところがいわゆる新しい大学制度によって、旧制の高等農林学校あるいは高等農業学校大学に切りわかることによって、私の経験によれば、むしろ指導者は素質が後退しておるのではないか、昔の高等農林当時の方がもっと内容もよく、指導能力もあるような人材が養成されたのではないか。いわゆる地方大学農学部などというものは、今あるというのは名ばかりで、内容はきわめて見劣りが他の部局に比べてあるのではないか。

足鹿覺

1961-05-23 第38回国会 参議院 農林水産委員会 第47号

これはいろいろな公民として、国民として、地方民として当然いろいろな集会だとか、修養、娯楽の時間だとかありますから、そういう時間を、僕の郷里あたりで三十四、五才程度の営農の中心になっておる、まあ高等農林学校卒業程度の諸君の労働日誌からずっと推察いたしますと、農協の総会だとか、部落の集まりだ何だかんだありますね。

森八三一

1961-02-22 第38回国会 衆議院 外務委員会 第5号

たとえば三重鹿児島盛岡宇都宮等高等農林学校には拓植科というものがあったが、終戦後これはみんないつの間にか廃止してしまって、近ごろでは、海外事情というものは、高等教育では、限定された私立大学にしかない状態である。だから、高等教育においても海外移住に対する技術専門家を養成することは必要であります。  それで、私は文部省に伺いたいことが二つあるわけであります。

田原春次

1956-02-23 第24回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

○石田(宥)委員 そこでなお総裁にお尋ねしたいんですが、実情もお耳に入っておると思いますけれども、私ここにちょっと資料を持ってきておるのですが、その手続が非常にもう煩瑣をきわめるものであって、おそらくこれは高等農林学校でも出た農民ならできるかもしれませんけれども、農民の手には事実負えないと思うのです。こういう繁雑な、煩瑣なものを、何の必要あってお作りになったか。私はその点に疑いを持つのです。

石田宥全

1948-05-05 第2回国会 衆議院 文教委員会 第3号

そして高等農林学校大学にしたいといふ希望があるのでありまして、ただいま請願しておる水産大学ができるものとすれば、ここに総合大学可能性が存在しておるのであります。しかるに仄聞するところによりますと、高等農林学校大学に昇格をして、どこか他縣の総合大学へそれを併置するというような説を聞くのでありますが、その点は事実どういうことになつておりますか。

石原圓吉

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